カスタマーハラスメントとクリーニング
増加するカスタマーハラスメント
顧客からのクレームは、あらゆるビジネスに付きものである。以前よりいろいろな商売でのクレーマーが問題視されていたが、最近はこれをハラスメントの一種と考える「カスタマーハラスメント」という言葉が定着してきた。これは客からの注意や指導というよりは、接客をする店員の弱い立場につけ込み、不当な要求をする人が増えている。
労働組合のUAゼンセンが独自にアンケートを採ったところ、カスタマーハラスメントを目撃した人が8割近くもいたという。UAゼンセンは厚労省に対策を迫ったが、対応はガイドライン作成程度に留まっている。
あらゆるビジネスで競争が増し、各社は顧客に気に入られるよう徹底したサービスを行っている。この様な世界では、サービスを受ける側の顧客の立場がより高くなり、ときには高圧的な態度を取る人も出てくるだろう。また、SNSなどで店の評判を書き込む人も増えている。それもこういった問題を広げる要因になっているという。
クリーニングでは職種の性格上、以前よりクレームが多い商売という位置付けがされていた。クリーニングの場合、業者に責任がある場合以外(衣料品に欠陥があった、顧客に原因があった等)でも最初に苦情を申し立てられる。また、「風合いが変わった気がする」、「前にはシミがなかった気がする」といった感覚の問題まで持ち込まれることがある。当方では2004年に「苦渋の洗濯!?」というクリーニングのクレームに関する書籍を出したこともあった。一つの工場で多くの店舗を出店する職業である以上、この様な問題は避けて通るわけにはいかない。
(UAゼンセンと厚労省の交渉を報じる朝日新聞2018年2月11日の紙面)
カスハラ急増の原因
カスハラが増加している要因は、各商売の競争激化、高度な接客の要求、SNSの登場といった理由以外に、本質的な問題があると思われる。
日本では「おもてなし」という言葉に代表されるように、お客様をもてなし、物を売る側は買う側よりひとつ低い態度で接する習慣があったようだ。これは商売をDEAL(取引)とみる欧米のやり方とはだいぶ意味合いが違う。江戸時代は士農工商で商人は少なくとも表面上は低い位置にあったし、当時の使用人には滅私奉公なる言葉も聞かれる。CI(顧客満足)という言葉が欧米より渡来したときも、日本では「お客様は神様です」と併用され、海外とはだいぶ違う解釈がされたように記憶している。個人が大切にされているといい難い日本の文化では、末端の店員が犠牲になる。一億総中流と呼ばれた時代にはまだ良かったが、現代のような格差社会ではそれがより先鋭化している。
そして当方が一番主張したいのは、昭和32年施行の生衛法の存在である。生衛法は主なサービス業(飲食業、食品販売業、理美容業、旅館・ホテル業、クリーニングなど)を昭和32年当時のままほとんど改善せず現代社会に押しはめている悪法である。この法律は該当するこれら商売を「従業員のいない個人経営の商売」とみなし、だから脆弱で行政の助けが必要と強引に天下り先を作る理由にしている。昭和30年代ならそうだろうが、現代では全国チェーンの飲食店やホテルチェーンが当たり前に存在し、クリーニングでも何百、何千人もの従業員がいる会社がある。それら事実を全く無視して、零細業者を「業界の代表者」とし、役職に就けている。この間に無法状態で競い合う業者達は激しい競争を繰り広げ、末端の店員達には厳しいサービスを課し、カスハラをはじめ多くの問題を発生させている。それに目をつぶっているのが厚労省である。
http://npo.cercle.co.jp/?p=426
(生衛法に関してはこちらのサイトへ)
日本では「労働者」とは、月曜から金曜まで働く人たちのことをいうのであり、彼ら「労働者」が週末や祭日に出かけるときに泊まったり食事の提供を受けたりする相手はすべからく労働者ではなく、家族レベルのお手伝いである……これがこの法律の解釈である。勿論これは事実ではないが、法律ではそうなる。これで問題が発生しているのだ。
2018年末、安倍首相がゴルフに出かける姿がテレビに映し出された。テレビでは「正月を故郷で過ごす家族が新幹線に……」という映像が出て、「(田舎では)おじいちゃんと遊びたい」という子供の言葉が30年以上も前から出てくる。年末年始は国民が100%休みだといいたいようだが、大きな店はどこも元旦営業が当たり前。政治もマスコミも、サービス業に従事する人たちのことは全く無視しているのが現状だ。月曜から金曜まで働く人々が週末に買い物や遊びに行く先で待っているのも、これは労働者なのである。
このように、カスハラとはじめとする最近の問題は、社会情勢の変化等ばかりでなく、政治、行政にも大きな責任がある。この辺のことを周知させたいのが当方のねらいでもある。
テレビでは伝わらない真意
こういう矛盾した解釈により、多くの人々が被害を被っている。そこで、マスコミに紹介してもらい、多くの人々に伝えたいと考えている。その中でも、テレビは大衆への影響力が強い。
2006~2008年頃、フジテレビで「お客様は王様かよ」というバラエティ番組の企画があり、クレーム処理の現場を撮りたいという。その頃は「苦渋の洗濯!?」が出たばかりだったので承諾した。第一回目は日曜3時からだったが、視聴率が想像より良かったとのことで、2回目よりゴールデンタイムに昇格した。
しかしこれは良くなかった。理不尽なクレーマーなどを紹介しても、単に視聴者受けがいいだけで問題解決につながらない。そこで、こういうクレーマーが跋扈する背景に業界の構造上の問題があることをテレビで説明できないかと交渉したが、「テレビで難しい内容はなかなか取りあげられない」とのことだった。クレーム番組自体は相当受けたようで、この後他のチャンネルからことごとく依頼があったが、業界問題を提案すると皆嫌がった。テレビは視聴率が大事なので、視聴者が理解しにくい話題は嫌われるのである。結局すべて断るしかなかった。
2017年、TVタックルからのオファーがあった。これは当方のHPを見て連絡したのだという。最初のテーマは「やたら安いもの」。当時、激安旅行会社が突然潰れる事件が起こった。それでは他の安い商売はどうなのかというので、旅行の他にもやし業界とクリーニングが選ばれた。「なぜ安いか」というテーマは当NPOにとっては大きなチャンスであり、業界がまとまらないため様々な弊害が起きているとして、最初からしみ抜き料金を取る矛盾や、業界の悪い労働環境などを述べることができた(放送後、真実をばらされるのが困るという人の抗議もあった)。その後、2018年1月にもコインランドリーのことで登場した。討論型のTVタックルなら自分の意見を述べられる。当方にとっては大変ありがたい番組である。
というわけで、三回目のTVタックルはカスタマーハラスメントの話題だった。上記のようなことが説明できれば嬉しい。特に、悪法である生衛法の改正に少しでも近づければいい。そう思ったのだが・・・。
結果として、思ったようなことは全くいえなかった。準備が悪かったというより、簡単に説明できなかった。当方はカスハラが起こる根源的な理由と、それを撲滅するにはどうするかというスタンスで臨んだが、あと二人のゲストはクレームの専門家。既に起こったクレームをどのように解決するかを考える人々である。それを乗り越える語彙力がこちらになかった。これでは仕方がない。
テレビは主張を多くの人に伝える大きなチャンスである。しかし、いつでもうまくいくわけではない。チャンスをいただいたのに、生かせなかったのは残念だ。(それにしても、テレビ局の編集は素晴らしい。もっとドタバタしていた印象があったが、見事にまとめている)
カスハラ撲滅へ取り組む姿勢を
カスハラはほぼ日本固有の問題であり、企業ばかりか経済社会に与える影響も大きい。他の国にない風土病のような存在でもある。
クリーニングの中では店員が標的になり、ひどい話も聞かれる。しかも当NPOで問題視するような会社では、こういった顧客のクレームを店員任せにし、ひどい場合は店員に賠償させているところもある。店員は会社のパワハラと顧客のカスハラの両面から責められるのである。これはあまりにも酷い。特に、「店員に賠償させる」は意外と多く聞き、クリーニング業者のモラルが問われる。
http://npo.cercle.co.jp/?p=250
(店員に賠償させるクリーニング店についてはこちら)
現在、日本では技能実習生など外国人が増えてくる予定であり、コンビニなどでは外国人が受付をしている。弱い立場の彼らはこういった問題で被害を受けることが考えられ、現にそういった話も聞かれる、外国人がもし標的となった場合、日本への印象がかなり悪くなるだろう。これは日本の恥部でもあり、解決すべき課題だろう。
カスタマーハラスメントの多くはいわゆる「クレーマー」によって引き起こされる。いろいろな業界にはブラックリストもある。暴力団に指定暴力団があり、これによってかなり改善されたように、クレーマーにも指定クレーマーがあってもいいのではないか。人権とかいろいろ課題はあるだろうが、少しでも良い方向に向かうことが望ましい。
「国家の品格」や「国家の教養」といった書籍がベストセラーとなった藤原正彦氏は自身の著作の中で、強いものが弱いものをいじめる状況を激しく非難している。まさに氏が批判する無教養のなせる技だろう。冒頭にUAゼンセンの要望がほぼ叶わなかったことを取り上げたが、ブラック企業問題などに目をつぶり、天下り先ばかり創設し、偽データを作っている厚労省に真剣に取り組む気持ちがあるとは思えない。社会全体でおかしな行為を少しでも減らしていけるよう、取り組まなければならない。