「洗ってないクリーニング」は本当にあるのか?
「洗ってないクリーニング」は過重なおしつけ業務が原因
クリーニング業者の作業を批判する婦人雑誌の記事
お客様から預かった品をクリーニングしてお返しするはずのクリーニング店が、もし、衣料品を洗っていなかったらどうなるのだろうか?「洗ってないクリーニング」は、クリーニング業界では1999年頃からしばしば話題になった。ここではこの問題を検証する。
マスコミは「洗ってない」クリーニングに注目する
当NPO法人クリーニング・カスタマーズサポートがマスコミから取材を受け、結成のいきさつやこれまでの歩みを説明するとき、取材する側はいつも「洗ってないクリーニング」に注目する。衣類などをキレイにするはずのクリーニング店が「実は洗ってない」というのは、相当なインパクトがあるし、実際、自分がクリーニングに出した衣料品がそうだったら大変だ。
洗ってないクリーニング店がある、との話題が最初に広がったのは1999年のこと。小学館の婦人雑誌に、「ある大手業者に勤めていたという人に聞いたのですが、その工場では洗濯物が届くと、洗うものと洗わないものに仕分けするんだそうです。洗わないものとは、あまり汚れていないもの。洗濯機にかけてにおいだけを取り、そのまま包装して返してしまうそうなんですよ」と書かれた記事が出てクリーニング業界は騒然となった。これは当方も業界団体などで相談、小学館に会見を申し入れたところ、「守秘義務があり業者名はいえないが、紛れもない事実」とのことだった。ただ、大手出版社の誌面におおっぴらに書かれ、そういう(洗ってない)業者もまずいと思ったのか、その後しばらく、このような話を聞くことはなかった。
1999年に婦人雑誌に記載された文章。安売り業者の不正を初めて暴いた問題として、当時は大きな話題となった。
2014年、当NPO法人クリーニング・カスタマーズサポートがスタートし、8月には読売新聞が紹介してくれた。その記事の中に不正な業者の問題として「洗わずに乾燥して返す」という文字が載った。記者は当方が今までのいきさつを述べた際、1999年の事件が印象的だったのだ。しかし、これに小規模業者達が反発、「そんなことはない」などとブログにかき立てる人たちが出てきた。彼らは大手業者の事情を知らないので自分たちがバカにされたと思ったようだ。クリーニング市場の8割以上を大手が占めている。厚生労働省は小規模業者ばかりを「業界の代表」に仕立て上げているので、こういった誤解が生じがちであるが、実態を正確に把握しない業者にも問題がある。
その後、当NPOが活動を始めると、クリーニング業界のあまりにずさんな業務があからさまになった。それらの多くは業界の労働問題だったが、消費者におかしな対応をしている実態も少なからず明らかになってきた。
2016年、当NPOに来た労働相談の中で、「洗ってない工場がある」という話があり仰天した。現代においてもまだそれがあるようだ。2017年にも同様の情報提供があった。この内容に関しては後述する。
2019年、弁護士ドットコムが当方を紹介してくれた。この中でも「洗ってないクリーニング」の話が若干紹介されたが、これはヤフーニュースにも紹介され、一般の方々のコメントを読む限り、やはり「洗ってない」に関心が集まった。
このようにクリーニング業界の問題について説明すると、最も注目されるのは「洗ってないことがある」である。もとより、こんな「洗ってない」などという手抜きは論外であり、あってはならないことであり、一般の方々が驚くのは当たり前である。しかし、そういった問題を真剣に論じないのがクリーニング業界でもある。
誤解されやすいドライクリーニング
クリーニングは、ほとんどの人びとが利用する商売でありながら、作業内容がほとんど理解されていない職業である。たとえば、「ドライクリーニング」というが、これがどんな洗い方なのか、一般の方はわからないだろう。
ドライクリーニングとは、水で洗えない品を別の溶剤で洗う方法である。「別の溶剤」には、おおむね3種類あり、揮発性の石油系溶剤、塩素系溶剤、液化フロンなどフッ素系溶剤があり、ほとんどで石油系溶剤が使用されている。石油系溶剤によるドライクリーニングは油性の汚れは落ちるが、水溶性の汚れにはあまり効果がない。そこで前処理、シミ抜きなどの作業をして汚れを落としている。
水洗いとドライクリーニングは根本的に違う。例えば、ポケットティッシュを衣類のポケットに入れたまま洗うと、水洗いならバラバラになる。ところが、ドライクリーニングではそのまま出てくる。厚手のコートに入ったポケットティッシュを検品で発見できず、そのまま包装され客に届いたら、その客は「これは洗っていないのではないか」と疑うだろう。セーターに飯つぶが付いたままドライクリーニングすると、飯つぶはカチカチに乾燥して付いたまま出てくる。繁忙期に作業員がこれを見逃し、客にそのまま渡ると、「飯つぶが付いたままじゃないか、洗ってるのか!」となる。チェックミスはクリーニング店の責任だが、洗っていないわけではない。
クリーニング業者は昔からこういう誤解を受け続けてきた。クリーニング業者が大手も個人も関係なく身内に同情的なのはこういう理由もあるだろう。ただ、これから説明する「洗ってないクリーニング」は、これとは全く別のものである。
標準的なドライクリーニングの洗濯機、一度に40枚以上の衣料を洗える。
業界を変革した「11時お預かり、5時お渡し」
クリーニングサービスの変遷を若干説明したい。ドライクリーニングが開発されたのは18世紀のフランスと言われており(諸説あり)、日本には明治時代以降、洋装化とともに伝播したが、最初は職人の仕事だった。昭和40年頃から機械化が進み、各地にクリーニング工場が建ち、生産性が向上した。価格も安くなったため、日本は国民のほとんどがクリーニングを利用する世界でも希な国家となった。
技術革新はサービスも向上させた。大手業者では、「朝出して夕方バッチリ」など、即日仕上げが当たり前になった。工場の生産性も増し、洗濯に関しては標準的なドライ機は22キロの容量、水洗機は20キロで、この二つがあればトータルで一日1000枚の品を洗うことが出来るともいわれる。
1990年代、「11時お預かり、5時お渡し」というような、午前中に持ってくれば夕方仕上がるサービスが登場した。これは画期的なサービスで、それまでは「朝出して夕方出来ます」といっても、たとえば衣類を5枚持ち込んでも夕方までに3枚しかできないことが多々あったが、新しい方式では5枚すべてが揃っている。客は二回も店に足を運ぶ必要がなくなり、消費者はこの方法を指示した。この方式はあっと言う間に広がり、日本中、どこでもこんな看板が上がっているようになった。大型小売店もこの方式を喜び、これが出来る業者が選ばれるようになり、業界でこれが出来るか出来ないかで明暗を分けた。
しかし、この方式は工場に負担がかかる。11時から5時までに品を仕上げて店舗に届けなければならないので、工場は短時間にたくさん仕上げる瞬発力が必要になる。当然設備も多く必要となり、余裕のある工場でないと納期に間に合わせることが出来ない。また、顧客の側も「クリーニングはいつでも早くできる」という認識になり、サラリーマンの方は週末に品を出し、品が週末に集中するようになった。ある工場では土曜日のワイシャツ入荷が通常の日の4倍になる。こういう工場では、土曜は夜中まで残業しないと間に合わない。
クリーニング店にはどこでも見かける看板。その日のうちに仕上がるのがウリ。
容量の足りない工場が「洗ってない」を生む
今やクリーニング店はどこでも「11時お預かり、5時お渡し」の看板が上がっている。これがないと客が来ない。いつできるかわからないクリーニング店には客が寄りつかない。クリーニング店にとっても、競争に勝てなくなってしまう。しかし、本当に一年中「11時お預かり、5時お渡し」がほぼ間違いなく実現しているかというと、低価格店ではそうではない。繁忙期に納期が遅れるのは当たり前、それなら遅れる旨各店に連絡するべきだが、それもなし。遅れるのが日常茶飯事になっているところもある。
こうなる理由は、工場に十分な設備がないからである。たいした設備もないのにやたらと品を集めさせ、作業員には無理をさせ、店員はいつも客に謝っているような会社がある。また、猛烈な経費節減を行い、わずかな設備で労働者を酷使する会社もある。当方はNPO法人としてクリーニング業界で働くいろいろな方の相談を受けているが、そこで気付くのは、問題の多い会社はたいてい工場が受け入れられる品の容量に対し、あまりにも多くの品を集め過ぎている事実である。食品店が客から生産数よりはるかに多い注文を受けたら商売が成り立たないが、それと同じことを行っているクリーニング店がある。
なぜこうなるのか?クリーニングの世界には、大手業者の「規範」が存在しない。業界内には店員教育や営業のコンサルタントは存在しているが、会社をトータルで経営、生産管理を指導する存在がない(「クリーニング学校」のような所へ行っても、60年前の運営しか教えられない)。付け焼き刃のようにノウハウを重ねて成り立っている会社がある。ちゃんとした会社もあるが、問題の多い会社は全くのオリジナルで仕事を行っている。
日本のクリーニングは昭和25年施行の「クリーニング業法」と、昭和32年施行の「生衛法(生活衛生関係営業の運営の適正化及び振興に関する法律)で管轄されているが、大量生産の可能なクリーニング工場に関しては全く法律がなく、各業者が全く自由に行っている。規範のない状況のまま20000軒を越えるクリーニング所が日々稼働しているのである。
そういう中、クリーニングは価格競争だけはいつも激しい。安くすると量をさばかなければならない。低価格店はいつも作業の山である。その上、当NPOが問題にしているようにクリーニング業界は労働環境が非常に芳しくない会社がある。午前1,2時まで残業したというところもあるし、残業代もまともに出さない会社もある。できるはずもないのに、他社の二倍の生産量を要求する会社もある。さらには極端な軽費節減を強要するブラック企業も存在する。
あまりにも過酷な労働と、それに見合わぬ報酬の中、それに嫌気がさし、現場で手抜きに手を出す人が出てくる。最初は洗い時間を短くするなど短縮作業から始まり、ついには「洗い」自体を行わない究極の手抜きになってしまう……。これが、「洗わないクリーニング」の正体である。
2014年のNPO設立以来、問題の多い会社に共通するのはどこでも労働者への「過剰な要求」である。わずかな設備しか持たない工場に、途方もない量の作業を課す。当然作業員は残業の連続になり、手抜きに走るようになり、ついには「洗わない」まで達する………これは経営陣のモラルの問題だ。
最近、「バカッター」が話題になっている。コンビニやファーストフード店で働くアルバイトの悪ふざけをネットに投稿するものである。あのような行為に道理はないが、人手不足を背景に、会社側が課す労働量があまりに多く、アルバイト達がもうやってられないと反抗的行為に走っているのだとしたら、それは理不尽な労働を要求する会社側に対して労働者が手抜きに走るのと同根である、と見てもおかしくない。できそうもない仕事を押しつけられ、そうせざるを得なかったという点では、「洗ってないクリーニング」はバカッター問題よりもさらに会社側に責任があるだろう。
過酷労働で知られるクリーニング業者で働く作業員のタイムレコーダー、これでは、「やってられるか」と考えるのは当然だ。
悪いのは誰だ?
このようなことから、「洗わないクリーニング」は、工場の生産能力も顧みず、猛烈な仕事量を押しつける会社の姿勢によって発生するようだ。そう考えれば、慢性的に納期が遅れるクリーニング店は「洗ってない」可能性があるといえるだろう。ただ、クリーニング業者が「洗わない」こと自体が異常であり、そんなことがめったに発生するわけではない。
これはクリーニング業者でないとわからない話だが、当方に寄せられた情報では、あるクリーニング工場では22キロドライ機1台、20キロ水洗機1台だけで3000点を仕上げさせられたという。当然夜中の2時までの残業になり、この人は会社を辞めた。3000点の入荷なら、洗濯機としてはこの3倍の量は必要であり、会社としての姿勢を問われると思う。この方の話では、この会社はクリーニング会社の生産率の指標である「人時生産率」の目標が40であるという。ちなみに業界の平均値が20程度なのに、その倍をやれというのだ。
2016年、当方に相談があった事例では、1999年の雑誌の件を話した際、「ウチでもこれはある」といわれた。翌年は最初から「洗ってない」という話になり、遠方なので新聞記者に調査を依頼したことがある。無謀な仕事をさせている会社は現在でも存在する。
どんな熟練者でも、キャパをはるかに超えた仕事を時間内にしろというのは無理。納期が決まっていない昔なら後回しに出来たが、「11時お預かり、5時お渡し」は取引先から指示され、それを売り物にテナントに入っている業者も多い。それに対して十分な工場設備を備えていないのなら、これはすべてそんな状況を放置した会社の責任といえるだろう。オペレーションも考えず、ただ売上だけ上げているのでは話にならない。工場設備が足りず、日々残業が続くクリーニング工場があれば、それは注意しなければならない。
当NPOはクリーニング業界の正常化を目指す団体だが、クリーニング業界を悪くする問題の根源は大きく分けて二つある。まず一つは不正行為を次々と繰り返す大手業者、ブラック企業であり、もう一つは、厚生労働省の認可団体でありながら、自らのエゴのため大手業者を追い出し、利権にしがみついて業界を昭和30年代のままの状況にとどめている全ク連である。全ク連は零細業者の集団であり、一般から同情を集めやすいが、建築基準法違反の違法操業を継続している点ではブラック企業と同じであり、毎年補助金、助成金をもらいながら何一つ社会の役に立っていない。こういったブラック企業やおかしな業界団体をどうにかしない限り、「洗ってないクリーニング」のような問題を解決することはできない。「バカッター」に代表されるおかしな行動、クリーニングにおいては究極の手抜き、「洗ってない」などは、結局は社会のゆがみ、矛盾が引き起こしていることであり、まずはおかしな法律や行政、業界団体などを注視することが解決へとつながるだろう。