クリーニングは貧しさの象徴なのか
「万引き家族」に見るクリーニング像
今年最高のヒット作、万引き家族
2018年度、日本映画最大のヒット作は「万引き家族(是枝裕和監督)」である。第71回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドール、サンセバスチャン国際映画祭で生涯功労賞にあたるドノスティア賞、ミュンヘン映画祭では外国語映画賞など世界中の映画賞を獲得し、各地の映画館でもロングランを続けている。
この映画は複雑な「家庭」が舞台となる。血がつながっていないのに、祖母、夫婦、娘、息子、それに虐待を受けて拾われてきた幼女の六人が暮らしている。しかし、一家の主な収入は「万引き」。「祖母」の年金や「父」の日雇い収入、「娘」は風俗店、そして「母」はクリーニング工場で働き、足りない分を万引きや車上荒らしで補っている。これ以上ない最低生活の中、お互いが本当の家族にも負けない絆を持っている。是枝裕和監督は、「この10年間考え続けてきたことを全部込めた」と語っており、女優のアマンダ・プラマーら審査員は、「主人公たちは、名前や自分の役割を変え、自分の中の倫理やモラルを血縁家族や社会にとらわれないところで発展させる。『万引き家族』は、私たちに新たな可能性と希望を与えてくれた」と受賞理由を発表している。
いいことずくめの映画だが、私たちクリーニング業者には「目を覆いたい」場面がいくつか登場する。
安藤サクラ扮する母親は、クリーニング工場に勤務している。ここではポケット検査の際、出てきた品をパートさん達がネコババすることが常態化している。娘と入浴する場面では、腕にやけどの跡があり、「アイロンでジュッとやった」と業務上の事故を示唆する。安藤サクラともう一人のパートをクリーニング経営者が呼び出し、どちらか辞めてくれという。理由は、「古株で時給が高いから」。古く汚い工場とともに、最低の職場であることを強調して演出されている。万引きをして暮らす家族にふさわしい、最低の職業という印象を与える。
クリーニング、負の象徴の歴史
映画やテレビドラマの中で、クリーニングはいつの時代も「貧しい人々の職業」、「負の象徴」として描かれてきた。昭和27年の大ヒット映画「おかあさん(成瀬巳喜男監督)」では、戦後の貧しい庶民の代表としてクリーニング店が舞台となり、平成2年テレビドラマ「一つ屋根の下」では、貧しい兄弟が唐突に始める商売としてクリーニングが選ばれ、平成19年映画「しゃべれどもしゃべれども」では、口べたで引っ込み思案のヒロイン(香里奈)を象徴する家業としてクリーニング店が描かれている。社会的事件としては、昭和57年、「夕暮れ族」が大きな話題となり、これを主催する筒見待子氏はバラエティなどに何度も出演したが、実態が売春組織であることが発覚、逮捕される。このとき、「父は上場企業の重役」と吹聴していた筒見氏は、実は「クリーニング業者の娘」とわかり、マスコミはことさらに「クリーニング屋」を強調して報道した。
クリーニング業者への低い扱い、貧相なイメージは、私たちにとって不愉快であり、払拭したい課題ともいえるが、それにしても今回の「万引き家族」はあまりにひどい。また、「負の象徴」はもっぱら零細業者が担ってきたが、今回は自動分配器も自動包装機もある明らかな大手。映画が大ヒットしていることもあり、影響は大きい。同業者でも大変不愉快という意見が多い。いったい、この業者はどんな気持ちで撮影を許可したのだろうか?
ロケ地クリーニング業者を訪問
この映画の最後にテロップで業者名も出ていた。そこで資材業者のつてをたどり、経営者にお会いすることにした。都内某所の会社を訪ねると、あの映画そのままの光景が広がっていた。50代くらいの経営者が待っていて、私は早速お話をうかがった。
Q:なぜ映画の舞台に選ばれたのか
A:ある日、若い女性(映画のスタッフ)がやってきて、このあたりの職場でロケ地を探しているが、映画を撮りたいので協力して欲しいと言われた。その後是枝監督が来て、ロケが決定した。映画は土、日で撮った。車が15台来てスタッフが60名も来た。近所の方々に静かにしてくれと頼んで撮影した。
Q:映画は見たか
A:見た。(どんな印象だったか、と聞かれて)難しい映画だった。
Q:作品として、クリーニングの扱い方に関して事前に説明を受けていたか?
A:この映画は大変暗い、それでもいいか、と言われていた。別にかまわないと言った。
Q:ポケットの中のものを盗みとか、アイロンの火傷の跡があるとか、パートの一人を辞めさせるとか、イメージが悪い部分があるが、どのように考えるか?
A:何とも思わなかった。ストーリーに関しては、私たちと関係がない。映画とは事実ではない世界である。こちらはそこまで責任は持てない。仕事に関しては、人間は誰でも間違いはある。これで業界が悪く思われるということはないと思う。
Q:同業者から何か言われたことはないか
A:特にない。誰かから電話がかかってきて、「あ、やっぱりお宅だったんだ」と言われたことはある。
この工場はワイシャツを一日千枚仕上げる能力を持つ。お話をうかがった経営者は工場のあちこちのスイッチを飛び回りながら切り、電話が来ればさっと出て、ワイシャツの仕上げに話題が及ぶと話が止まらなくなった。クリーニングにどっぷり浸かっている方という印象だ。東京都の生同組合では青年部の副理事長になったこともある(現在は脱退)。
映画ロケの承諾に関しては、最初からクリーニングを想定していたわけではなかったが、すべてを受け入れる懐の深さとともに、どのように思われてもかまわないという寛容さも持ち合わせていると思った。ある意味哲学者のようでもある。いろいろ聞く限り、この会社は誠実に仕事をする堅い業者であり、その点映画とは違う事実があった。同業者として非常に珍しいタイプの方だと思ったが、お会いして悪い印象は一つもなかった。ただ、これは映画の印象とは別問題である。
負の象徴からの脱出を
ロケを引き受けた業者がどうであれ、クリーニングのイメージが悪いと、業界の発展が望めない。暗く陰湿な職場という先入観があれば人が寄りつかなくなり、人手不足が深刻化する。また、ドライマークが洗える洗濯機、洗剤、吹き付けるだけの消臭剤などアンチ・クリーニング製品の開発を活発化させ、需要減退につながる。この様な状況だから、イメージの向上は必要だろう。
しかしながら、クリーニング業者の側に、イメージを上げていこうという意識はあるのだろうか?クリーニング業の品格を向上させようという試みが今まであっただろうか?私たちの中で、業界の社会的地位を向上させようと努力したことがあっただろうか?
日本は、業者数も需要も世界一のクリーニング大国である。これは消費者の多くがクリーニングを利用してくれている恩恵のおかげである。しかしながら、クリーニング業者の側からその利益を社会に還元するとか、一般社会の中にとけ込む工夫などは行われていない。恩恵を受けても一方的にもらうだけなら、尊敬を受けられないのは当然だ。これはクリーニング業者側の責任だろう。
クリーニングは最も矛盾した業界構造を持つ業種である。昭和25年のクリーニング業法、昭和32年の生衛法(生活衛生関係営業の運営の適正化及び振興に関する法律)といった、カビの生えたような現実にそぐわない法律によって管理され、市場では蚊帳の外となっている零細業者を「業界の代表」に備えて既得権者が自由に操り、その間に市場の大半を占める大手業者が延々と価格競争を繰り広げ、消費者を騙し、労働者を違法行為で搾取し、どんどんブラック化している。このような無法地帯では一番悪いことをした業者がトップに立ち、ブラック企業の天下になるが、だれも改善しようとはしない。クリーニング業界全体が一般の世界と断絶し、繰り返される違法行為のため、それがばれないように秘密主義になっていく。日本国民の大半が利用する商売なのに、業界全体で秘密を共有している。これでは、悪いイメージは払拭できないが、「業界の代表」に仕立て上げられた老人達はたいてい後継者もいないため、「自分たちの時代だけ良ければいいんじゃ」と改革する気力も能力もない。一方、無法状態をいいことに建築基準法違反などで成長したブラック企業は、汚れきった業界環境の中で「これこそが我々の秘密がバレない最高の環境」と、「貧しさの象徴」をむしろ喜んでいる。
理性あるクリーニング業者が襟元を正し、業界の地位を向上させる努力をしなければ、また第二、第三の「万引き家族」が製作されるに違いない。クリーニング業界は、「社会の底辺」といわれて平気な人ばかりではないはずだ。この現状を少しでも上向きにしていけるよう、志ある有志の登場に期待したい。